東京オリンピック2020では、今回初めて「空手 形」が競技として採用され、男子の喜友名選手、女子の清水選手が見事な演武でメダルを獲得しました。
気迫のこもった打突と洗練された体捌きは見事なものでしたが、所定の動作により行われる演武に優劣をつけることはどういうことなのかに疑問を持った声も聞かれました。
形とはいったい何なのでしょうか。
武道を嗜んだことのある方は、入門したその日にまず基本動作を学び、そして形を学んでいくと思います。
形にはおよそ名前が付けられており、経験の無い人にもわかるよう動作の手順が解説されることも少なくありません。
形の大きな役割のひとつは、その武道を学ぶものが真似る教科書のようなものと言えます。
では、その形はいったい誰が作ったものなのでしょうか。
基本動作が上手く、指導力に長けた人が作ったのでしょうか?
恐らくそうではありません。
武道の発展の過程において、開祖や達人、中興の祖と言われる人たちがいます。
その人たちの技は恐らく変幻自在であり、無形・無限の広がりを見せていたに違いありません。
形とは、そうした超達人が極めに極めた技を凝縮したエッセンスであり、無形・無限の技を有限に纏め可視化したものであると私は考えています。
形は、いわゆる格闘技と言われる動作を限定することで、柔道を柔道、空手を空手、剣道を剣道、合気道を合気道たらしめるものであり、さらにその伝承のために、その武道に初めて触れた初心者が見よう見真似で行うことのできる基本の教科書なのです。
さらに言えば、武道を習熟し達人の域に近づいた人がいたとしても、決して形から逸脱することなく、形の重要性は不変であり、常に基本は形の中にあると言っても過言ではないでしょう。
日本古来の伝統芸能である能にも型が存在します。
室町時代初期、当時猿楽とも呼ばれた能は多種多様な表現手法が乱立していましたが、その所作を体系化し、型として伝承する礎を世阿弥が築いたと言われています。
限りなく簡略化された舞台の上で、重く豪華な衣装を身に着け、視界の極端に狭い面を被って行う所作により喜怒哀楽を表現する能は、型によって形成される表現の集大成と言えるでしょう。
基本姿勢を示すカマエ、動く動作のハコビ、感情表現のシオリ、クモルなど、その所作はすべて型によって伝承されています。
能の台本とも言うべき型付にもすべての所作が記されているわけではありませんが、組み合わされる型と、型と型を結ぶ役者の一挙手一投足により、その表現は無限の広がりを見せます。
型あればこそ、道は道を成し、後世へ何百年と道を伝承することができているものと思います。
武芸を極める話と対比するのも非常におこがましいですが、お仕事の上でも型は存在しますね。
マニュアルとか手順書とかSOPと呼ばれるものがそれにあたります。
業務に優れた人がいても、その業務を体系化し、マニュアルを以て広い範囲に内容を習熟させ、全体の効率化を図ることは非常に重要です。
特定の業務のマニュアルを作成するのは、その前後の動きや全体的な流れを把握している人のほうがより良いものを作れることは容易に想像できると思います。
道がなければ人はついてきません。
職人気質で縄張りを守るよりも、その業務が特殊であればあるほど全体の流れに「乗せる」ことが非常に重要であると感じています。
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