7月30日、李登輝元台湾総統が亡くなられました。

享年97歳。

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李登輝元総統は、1923年、当時日本統治下で会った台湾の台北近郊で生まれました。

中国古典や日本文学に親しみ育った彼は京都帝国大学に入学し、農林経済を学びますが、在学中に学徒出陣によって従軍した経験を持ちます。

また、彼の兄は同じく従軍したのちフィリピンで戦死し、帝国軍人として靖国神社に祀られています。


戦後、台湾に戻った彼は、蒋介石率いる国民党の支配下で粛々と自らの責務をこなし、台湾大学の教授となったのち、1971年、国民党に入党します。

本来は侵略者でもあったかもしれない国民党に籍を置きながらも、持ち前の勤勉さ、周到さ、忍耐強さによって頭角をあらわしていった彼は、台北市長を経て、1984年、61歳にして国民党の副総統に就任します。

そして1988年、蒋介石の息子である蒋経国総統の死去により、ついに国民党の総統に就任します。

中国による侵略の脅威や米国による干渉など、大変な混乱の時代を経て1996年、直接選挙によって彼は総統に選出されます。

これは、数千年にわたる中華の長い歴史の中で、国家元首を選ぶ初めての直接選挙とも言われます。


台湾は我々物流業者にとっても大変重要なパートナーと言えます。

大きな貿易相手国でもあり、また、航空輸送、海上輸送においてもアジア域内を中心にネットワークを張り巡らす欠かすことのできないキャリアが多くあります。


文化的にも経済的にも親日国と言われる台湾。

災害が発生した際にも、お互いに真っ先に手を差し伸べあう素晴らしい関係が成り立っています。

外交的に親日国と言われないのは歴史上の経緯と言わざるを得ませんが、このような関係を成り立たせることができるのは李登輝元総統の功績であることは間違いありません。

親日家、と評される李登輝元総統自身、「オレは日本人だから」としばしばおっしゃられたといいます。


今回、李登輝元総統死去のニュースはあまり日本で大きく報道されませんでした。

かの国への忖度が見え隠れしますが、尖閣や南シナ海の不安定な状況に際し、我々の国はどのような態度をとっていくのでしょうか。

少なくとも隣国の国民同士、経済や文化面では気兼ねなく深い付き合いを続けたいものです。