天智天皇十年四月辛卯条、グレゴリオ暦で西暦674年6月10日、日本では初めて時報が鳴らされました。

始打候時動鐘鼓。始用漏刻。

日本書紀にこう記されたこの日を記念して、6月10日は時の記念日と定められています。


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(近江神宮HPより)



漏刻とは容器から水が流れる水位を目盛りで読んだ水時計のようなもので、あくまでも相対的な時間経過を示すものでしたが、日の出や月の出と言った自然の摂理に従って日々の生活を送っていた人々にとってはあまりに新しく、画期的なものだったに違いありません。


客観的な概念としての時刻の歴史はもっと古く、紀元前数千年代の古代バビロニアやエジプトでは、日の出から日の入りまでの時刻を12等分、24等分、60等分に分割した時間単位を把握していたと考えられています。

(古代の人々が暦について2等分、4等分、8等分ではなく3等分の倍数を採用していたのは、幾何的に3等分の概念のほうが人間生活の何らかにしっくりくるからだったのでしょうか)

しかし、夏と冬では異なる単位は客観的とは言えず、人間が地球規模で普遍的と言える1秒の単位を獲得したのは16世紀後半、天文学が発達してからのことでした。

地球の自転を基準に時の刻みを定義し、それを人工的に可視化することのできる精密な時計が発明されてから、人々は大海原に乗り出し、自分の位置を把握することによって遥かなる大洋を渡り、新たな大陸を発見することが出来るようになりました。

人間が可視的に観測できる天体を基準にした時刻の定義の時代はこの後500年程度続き、日本でもつい70年ほど前、1951年に定められた1秒の定義は東京天文台が観測したある特定の1日の長さの86400分の1である、とされていました。


時の定義は科学の発展が光速や電子、原子の分野に広がっていくにつれ、天文学から物理学にバトンを渡し、現在国際的に定められている1秒の定義は、

The second, symbol s, is the SI unit of time. It is defined by taking the fixed numerical value of the caesium frequency ∆νCs , the unperturbed ground-state hyperfine transition frequency of the caesium 133 atom, to be 9192631770 when expressed in the unit Hz, which is equal to s−1.


和訳:秒(記号は s)は、時間のSI単位であり、セシウム周波数 ∆νCs、すなわち、セシウム133原子の摂動を受けない基底状態の超微細構造遷移周波数を単位 Hz(s−1 に等しい)で表したときに、その数値を9192631770 と定めることによって定義される[6]
(wikipediaより)

とされています。

いろんなところに意味や解説はありますので、興味のある方は調べてみてください。

ともあれ、この定義での精度は、3000万年に1秒の誤差が発生する程度とのことです。


もう十分かと思いきや、今年日本の研究グループは光格子時計なるものを開発し、自国の精度をさらに向上させました。

精度は実に100億年に1秒の誤差というもので、もはや宇宙の歴史レベル。





この超精密な時計を可搬型に改造し研究グループが行った実験は、重力の異なる環境で時の進みが変わるというアインシュタインが提唱した特殊相対性理論の実証でした。

東京スカイツリーの地面と展望台に設置した光格子時計の誤差を測定し、高低差450メートルにおいて1日当たり4.26ナノ秒の差を観測したそうです。





宇宙の星の観測から光子へと視点を大転換した時の概念。

それでも驚くべきは、時間は相対的な概念でしかないということ。

夏と冬の違いでなくても、1秒の長さは厳密には観測ごとにすべて異なるのです。


在宅ワークでは時計を見る頻度が増えた気がしますね。

まだ11時か、もう12時50分か・・・


会社で周囲の勢いに流されていると、時計を見る暇もなく、気づけば4時45分。


これも相対性理論?


まだはもうなり、もうはまだなり。

捉え方ひとつです。