総合商社とは、輸出入貿易を主体としてあらゆる商品やサービスを売り物として買い手に提供する会社です。
イギリスの貿易商人から長州藩へ小銃と蒸気船を調達した亀山社中が発祥とされる総合商社は、明治初期に三菱商事や三井物産などのルーツとなる会社が次々と設立され、現代まで脈々と続く系譜のなかで巨大企業へと発展してきました。
取り扱う商材や分野を特定しない総合商社という業態は、日本独自といわれています。
彼らは商品の売買を仲介するだけではなく、時にはその製造拠点や運送手段にまで投資をおこない、長期的に利益を生み続ける商流を世の中の仕組みの中に組み込んでしまう力を持っています。
現在の日本においては、三菱商事、伊藤忠、住友商事、三井物産、丸紅をもって5大商社とされています。
いずれも年商が1兆円を超える巨大企業ばかりです。
しかし、かつて日本には世界中のマーケットを席巻し、当時の日本のGNPの1割を稼ぎ出していた巨大商社が存在しました。
鈴木商店です。
明治の初め、兵庫県の弁天浜にあった辰巳屋からののれん分けによって生まれた鈴木商店は、名番頭金子直吉と、かのイギリス首相チャーチルからカイザーと呼ばれたロンドン支店長の高畑誠一の活躍によりみるみるうちに業績を伸ばし、スエズ運河を通行する船舶の1割は鈴木商店の船だとまで言わしめるほどになりました。
また、第一次世界大戦の戦線で使用された土のうには”SZK"と表示のある、鈴木商店の小麦袋が大量に使われていたそうです。
当時、まさに近代化の坂道を登っていく途上の日本商社が、すでに圧倒的な権力を持っていた欧米列強に対して強気な商売を繰り返し莫大な利益を上げていたのは、さぞかし痛快だったことでしょう。
しかし鈴木商店本店にとって良い時代はそれほど長くは続きませんでした。
第一次世界大戦末期から貧富の差が激しくなっていった日本では、鈴木商店に対する大衆の心象はかならずしも良いものではなく、米騒動の際には神戸本店が焼き討ちによって全焼してしまいました。
さらに、大戦の好景気は終戦後に反動となって物価や資産の下落を招き、ついには関東大震災によって追い打ちを受けた日本経済は銀行からの融資によって資金を調達していた鈴木商店に立ち直れない打撃をあたえ、ついに鈴木商店の経営は破綻します。
時に1927年。
鈴木商店がカネタツののれんを掲げてからわずか50年余りのことでした。
思うに鈴木商店が時代の荒波に乗り、短期間に莫大な利益を上げることができたのは、ひとえにその情報収集能力と精度によるものでしょう。
人々の需要の予測と新たな需要の掘り起こし、それに必要な産業への投資と新規開拓を時勢を逃さず繰り返してきた手腕には目を見張るものがあります。
学校にも行けないほど貧しい家に生まれ育った金子直吉が恐るべき嗅覚で利益への最短距離を無駄なく取捨選択し、リーダーとして素早く道を示したその決断力、そして時にはお客様に対して本気で腹を切ってでも詫びる態度を見せたというその誠実さには我々が見習うべき部分がたくさんあります。
鈴木商店はもうありませんが、ルーツを持つ会社は今でもたくさんあります。
IHI、神戸製鋼、帝人、サッポロビール、昭和シェル石油。
天才高畑誠一が鈴木商店破綻ののちに立ち上げた日商岩井をルーツに持つ双日。
そして、唯一鈴木の名前とカネタツの屋号を継承し、国内シェアの4割を持つ鈴木薄荷(ハッカ)株式会社など。
現代を生きる我々があふれる情報を目の前にして決断に悩んだときは、ミントを口に含んで深呼吸し、かつて世界を席巻した大会社に思いを馳せるのもいいかもしれません。
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