アフガニスタンで30年以上にもわたり医療活動を中心にアフガニスタンの平和と安定のために貢献してきた中村哲医師が、何者かの銃撃により死亡したとのニュースが報道されました。


昼間の第一報では、同乗していた運転手は死亡したものの、中村医師は命に別状なく、容態は安定しているとの報道もあり、死亡のニュースは悲しみを禁じ得ません。



1946年福岡生まれの中村医師は、1984年、38歳の時にパキスタンに赴任、医療活動に従事し、その後アフガニスタンに活動拠点を移し30年以上にもわたり地域の復興に貢献してきました。

医療だけでなく、全長25㎞もの灌漑用水を建築することにより農業地域を再生することで広大な砂漠を農地に変貌させ、2018年にはアフガニスタン国家勲章をガニ大統領から授与されています。


ガニ大統領も自身のツイッターで哀悼の意を表しています。


キャプチャ


中央アジアに位置するアフガニスタンの歴史は古く、旧石器時代から人がその地域に広く住んでいたことが分かっています。

東西文化の交錯する交通の要衝にあって、アフガニスタンは東西さまざまな文化と権力に翻弄されてきました。

近代になってからは一度英国の支配下に置かれたものの、戦後ソ連の後ろ盾により共産主義国として足場を固めつつありましたが、イスラム原理主義者との争いが絶えず、ソ連が崩壊した現代においても欧米資本主義勢力に対するテロリズムの拠点として紛争が続いてきました。


そのような国土において、そこにすむ人々に何の縁もゆかりもない中村医師が長年にわたって汗を流し、焦土を緑の農地に変え、人々の命を救ってきた姿は、国民の目にどのように映っていたことでしょうか。


武器を手に取って争う人間にも主義主張があり、大義名分があることでしょう。

平和な日本に生まれ育った我々には到底想像もつかない苦しみと恨みがあるに違いありません。


それでも、日本人としてこのような人が凶弾に倒れた知らせを聞くのは憤りを感じずにはいられません。


タリバンは早々に、今回の事件には関与していないことを発表したそうです。


しかし、今回の事件がアフガニスタンにおいて発生し、アフガニスタンの人によって引き起こされたことは間違いありません。


どのような勢力が何の目的で、中村医師とわかって事を起こしたのか。

彼らが願う国の行く末は、中村医師が描いた未来とどのように異なっていたのか。


平和とはいったい何なのでしょうか。



悲しいニュースです。