太平洋戦争さなかの1943年、より防御が強固になりつつある艦船への攻撃力増強のため、アメリカ海軍によって、より兵器搭載量が多く、機動性に富み、また急降下爆撃と雷撃をともにこなせる汎用性を兼ね備えた機体の開発が命じられました。
ダグラス社が受諾し、さまざまな紆余曲折を経て1945年3月に初飛行した機体こそがダグラス社の試作機XBT9D、のちのA-1スカイレーダーです。


単発のレシプロ機としては最大クラスの機体の大きさと強力なエンジンを持ち、胴体下と両翼下あわせて実に15か所も設けられたハードポイントにより兵器の最大搭載量はなんと3130㎏もありました。
これは、太平洋戦争の序盤に「空飛ぶ要塞」として戦果を挙げた戦略爆撃機B-17フライングフォートレスの最大搭載量が3600㎏であったことを考えても、相当な力持ちであったことがうかがえます。


もともとは太平洋戦線での対艦攻撃を想定して開発されたこの機体ですが、量産・実戦配備されたのは終戦後の1946年のことでした。

1950年の朝鮮戦争以降、航空戦力はジェット化が進み、また低速・低空での地上支援業務はヘリコプターの配備が進む中で、A-1はその持ち前の頑強さと機動力、そして汎用性の高さから様々な任務をこなし、1957年までに3000機以上が生産されたとされています。
そして、ベトナム戦争でも対地支援任務に大きな役割をこなし、1970年代に退役しました。


レシプロ機でありながら航空機の発展目覚ましい時代に20年以上も現役を続けたこの機体は、様々なユニークな逸話を残しています。

◆朝鮮戦争では魚雷によってダムを破壊

◆ベトナム戦争ではジェット戦闘機のMiG-17を撃墜

◆「搭載できないものはない」ことを証明するために便器を搭載して投下

などなど。


エリア88でも山岳基地の偵察機としてスカイレーダーは元気に飛んでいましたね。
砂嵐で出撃できないなか、みんなの暇つぶしにスカイレーダーを無事に誘導して基地に帰すなんてシーンがありました。

あの時のパイロットの名前がどうしても思い出せない・・・


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