現代の爆弾には誘導装置がついているため、高高度からの水平爆撃が主流ですが、二次大戦中の爆弾は自由落下に任せた投下方法しかなかったため、急降下爆撃が精密爆撃のための有効な手法とされていました。

重い爆弾を抱いての急降下と投下時の引き起こしに堪える強靭な機体を持った専用の爆撃機が各国で開発され、配備されましたが、そのなかでも最も目覚ましい戦果を挙げ、有名な機体がドイツ軍のユンカースJu87でした。

もともと急降下爆撃機という航空機の1カテゴリーを表すStruz KampfFlugzeugから、このJu87は急降下爆撃機の代名詞的存在としてスツーカと呼ばれるまでになりました。


航空機の軍事運用が爆発的に広がった第一次大戦から急降下爆撃の概念は発生し、1920年ごろにはユンカースK47をベースにして急降下爆撃専門の機体開発は始まっていました。
そして、1935年にドイツ航空省により採用決定がされたユンカース社の機体は、ユンカースJu87A型として1937年から大量生産が開始され、スペイン内戦で大きな戦果を上げています。

そして、その後いろいろなマイナーチェンジを繰り返しながら終戦までに5709機が生産され、東部戦線、アフリカ戦線や地中海戦線に投入されてからは対戦車攻撃で陸軍の大きな航空支援の役割を果たし、時には地中海での対艦攻撃にもその威力を発揮しました。

速力や航続距離でやや劣るものの、その強靭な機体や操縦性の良さ、固定脚と逆ガルの機体設計からもたらされる良好な下方視界は操縦士たちの評判も良く、また急降下時に発する特有の風切り音は「ジェリコのラッパ」としてスペイン軍兵士たちから恐れられたと言われています。

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このスツーカを語るうえで忘れてはならない伝説的な兵士がいます。

ハンス・ウルリッヒ・ルーデル大佐。


Ju87を駆り、数えきれないほどの出撃を行い、そのたびに数々の戦果を挙げ、30回以上撃墜されてもまた出撃を繰り返し、ついには「ソビエト人民最大の敵」と称され、莫大な賞金を懸けられるも最後は連合軍に投降し、終戦後はアメリカフェアチャイルド社にたいしてA-10の開発に助言をしたとされています。


その戦果は判明しているだけで

  • 戦車519両
  • 装甲車・トラック800台以上
  • 火砲(100mm口径以上)150門以上(100mm以下も含めるとさらに増える)
  • 装甲列車4両
  • 戦艦1隻撃沈
  • 嚮導駆逐艦1隻 (ミンスク型嚮導駆逐艦ミンスク)
  • 駆逐艦1隻 (駆逐艦ステレグーシチー)
  • 上陸用舟艇70隻以上
  • 航空機9機(戦闘機2、爆撃機5、その他2。9機のうち1機は37㎜砲により撃墜)


とされています。

記録もあいまいだった当時の状況から見れば眉唾物との説もありますが、正確に記録をたどればこれ以上であるとの説もあります。


いろんな意味でトンデモな時代ですね。
英雄のレベルもケタが違いすぎます。