先日、仕事で訪れた関西空港のターミナルを歩いていましたら、旅行者らしき外国人に話しかけられました。
聞くと、喫煙所(Smorking Area)がどこなのか教えてほしい、と。
筆者はかれこれ8年ほど前にすっかり禁煙してしまったので、喫煙所の場所などが行動範囲にあるはずもなく、大きなカバンを引っ張った旅行者の方を散々ウロウロ連れまわした挙句、ターミナルの中にいる案内役のお姉さんに託してしまったのでした。
筆者が禁煙した8年前もすでに社会の嫌煙ブームは始まっており、道端や公園などでもタバコを吸うことがだんだん出来なくなってきていました。
習慣とは恐ろしいもので、あのころどこかに出かけるたびに常に喫煙所を目で探しては、そこを訪れる隙を同行者からうかがっていたものですが、ここまで喫煙所というものが意識の外に出てしまった自分自身に驚きもしたのでした。
旅行者のかたはシンガポールから日本を初めて訪れた30代半ばくらいの男性でした。
かの国もポイ捨てなどには厳しい処罰があることで有名で、おそらくどこででもタバコを吸える環境ではないと思いますが、その方も、
「日本は本当にタバコを吸える場所がないな~」
とぼやいていました。

コロンブスによって西インド諸島の先住民からヨーロッパに伝えられたとされるタバコは、それから約50年後というわずかの間に、南蛮貿易船のポルトガル人によって日本に伝えられたとされています(諸説あり)。
高貴な香りのする薬草として当初伝えられたタバコは武士や裕福な商人しかたしなむことが出来ませんでしたが、江戸時代に入り、徐々に生産量も増加するにつれ、一般市民にも喫煙の習慣が広がっていきました。
風紀の乱れや火事の発生原因となることを懸念して、幾度となく喫煙や耕作の禁令が出されたようです。
しかし、喫煙者の増加に歯止めがかかることはなく、江戸時代中期以降はむしろ税収のために作付けを奨励されるようにもなっていきました。
明治時代に入るとタバコ政策はますます財源確保の意味合いが強くなり、当時2社存在した販売業者の専売制となることが法律で定められ、日清、日露戦争などの戦費調達の重要な財源となりました。
その後、戦後に日本専売公社が設立され、昭和60年にJTが設立されるまで専売制は継続されたのでした。
筆者がタバコを吸い始めた○○年前、洋物カブレの筆者はカッコつけてラッキーストライク(ソフトケース)を250円で買っていました。
いまは500円で売られているようです。
Wikipediaに1990年からの販売額と販売数量がありましたので、下記に示します。

見事なまでに、販売代金を維持しようと価格調整がされていることが見て取れます。
なんと恐ろしい・・
いまでも、いい天気の日に気持ちよく外を歩いているときに、どこからともなくタバコの香りがしてくると、何とも言えずいい気分になることがあります。
筆者も長年タバコを吸っていましたので、喫煙者を否定することなどできません。
しかし、喫煙マナーの悪い人たちのために、マナーを守ろうとしている喫煙者が迷惑をこうむっていることも事実なのでしょう。
おそらく、シンガポールからやっと到着した旅行者の方は、長時間機内でタバコをガマンし、やっと関西空港に着陸してタバコを吸えると思って必死に喫煙所を探したのでしょう。
あきらめてそこらで吸い始めなかったあたり、さすがシンガポール育ちというべきかもしれません。
筆者が禁煙してよかったと思うこと。
それは、お金でも健康でも匂いがつかなくなったことでもなく、
タバコを吸うための場所と時間から解放されたことでした。
聞くと、喫煙所(Smorking Area)がどこなのか教えてほしい、と。
筆者はかれこれ8年ほど前にすっかり禁煙してしまったので、喫煙所の場所などが行動範囲にあるはずもなく、大きなカバンを引っ張った旅行者の方を散々ウロウロ連れまわした挙句、ターミナルの中にいる案内役のお姉さんに託してしまったのでした。
筆者が禁煙した8年前もすでに社会の嫌煙ブームは始まっており、道端や公園などでもタバコを吸うことがだんだん出来なくなってきていました。
習慣とは恐ろしいもので、あのころどこかに出かけるたびに常に喫煙所を目で探しては、そこを訪れる隙を同行者からうかがっていたものですが、ここまで喫煙所というものが意識の外に出てしまった自分自身に驚きもしたのでした。
旅行者のかたはシンガポールから日本を初めて訪れた30代半ばくらいの男性でした。
かの国もポイ捨てなどには厳しい処罰があることで有名で、おそらくどこででもタバコを吸える環境ではないと思いますが、その方も、
「日本は本当にタバコを吸える場所がないな~」
とぼやいていました。

コロンブスによって西インド諸島の先住民からヨーロッパに伝えられたとされるタバコは、それから約50年後というわずかの間に、南蛮貿易船のポルトガル人によって日本に伝えられたとされています(諸説あり)。
高貴な香りのする薬草として当初伝えられたタバコは武士や裕福な商人しかたしなむことが出来ませんでしたが、江戸時代に入り、徐々に生産量も増加するにつれ、一般市民にも喫煙の習慣が広がっていきました。
風紀の乱れや火事の発生原因となることを懸念して、幾度となく喫煙や耕作の禁令が出されたようです。
しかし、喫煙者の増加に歯止めがかかることはなく、江戸時代中期以降はむしろ税収のために作付けを奨励されるようにもなっていきました。
明治時代に入るとタバコ政策はますます財源確保の意味合いが強くなり、当時2社存在した販売業者の専売制となることが法律で定められ、日清、日露戦争などの戦費調達の重要な財源となりました。
その後、戦後に日本専売公社が設立され、昭和60年にJTが設立されるまで専売制は継続されたのでした。
筆者がタバコを吸い始めた○○年前、洋物カブレの筆者はカッコつけてラッキーストライク(ソフトケース)を250円で買っていました。
いまは500円で売られているようです。
Wikipediaに1990年からの販売額と販売数量がありましたので、下記に示します。

見事なまでに、販売代金を維持しようと価格調整がされていることが見て取れます。
なんと恐ろしい・・
いまでも、いい天気の日に気持ちよく外を歩いているときに、どこからともなくタバコの香りがしてくると、何とも言えずいい気分になることがあります。
筆者も長年タバコを吸っていましたので、喫煙者を否定することなどできません。
しかし、喫煙マナーの悪い人たちのために、マナーを守ろうとしている喫煙者が迷惑をこうむっていることも事実なのでしょう。
おそらく、シンガポールからやっと到着した旅行者の方は、長時間機内でタバコをガマンし、やっと関西空港に着陸してタバコを吸えると思って必死に喫煙所を探したのでしょう。
あきらめてそこらで吸い始めなかったあたり、さすがシンガポール育ちというべきかもしれません。
筆者が禁煙してよかったと思うこと。
それは、お金でも健康でも匂いがつかなくなったことでもなく、
タバコを吸うための場所と時間から解放されたことでした。
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