海外から物を輸入すると、通常はその物の種類や価値に応じて税金が発生します。
消費税は8%ですが、関税率は品物によって高かったり、安かったり、場合によっては(いやほとんどの場合)かからなかったり。


そもそも、なぜ関税というものがあり、税率は品物によって複雑に細かく決められているのでしょうか。


関税とは、特定の地域や国境を通過する物品に課される税金です。
そして、もともとはその税金を収受する国や団体の財源として働いていました。

30年くらい前の時代では、街の裏路地にビーバップよろしくヤンキーどもに検問を張られ、通行税を払わされた苦い思い出があるかたもいらっしゃるかもしれません。
古来税金とは、既得権者が払わざるを得ない事情を持ったものから財を徴収するという観点からすると、まったく同じ意味合いを持って収受されています。


国際貿易が始まり、貨幣経済が発展して来るにつれ、関税は違った意味合いを持つようになります。
国境を超える物品に関税を課すことにより、その商品の価格競争力をコントロールすることが出来るようになり、国内で生産された物品の競争を助け、国内産業の保護のために機能するようになってきました。

単純に原価が同じ商品でも、日本製のものと海外から輸入したものを比べると、輸入時に関税を支払っている場合はその分を売値に上乗せしないと利益が確保できません。
関税のかかる物品は、簡単にいうと海外から輸入をするよりもむしろ国産の物品の使用が奨励され、海外からの市場参入にブレーキをかけられていると言えます。


このように国内の経済政策と密接な関係のある関税は、通常その国が独自に税制や税率を決定し、自国の政策が自由に反映されるべきものです。


しかし、かつて日本では江戸時代の開国当時、この関税自主権を持っていませんでした。


1858年、黒船来航から日本は欧米列強に開国を迫られ、14代将軍徳川家茂はアメリカ総領事ハリスと「日米修好通商条約」を結びました。
そして、同様の内容の条約をイギリス、フランス、オランダ、ロシアとも結びましたが、この条約に日本の関税自主権は認められていませんでした。

当時の欧米列強は、長年鎖国していたチョンマゲ民族を属国としてしか見ておらず、自分たちの国の利益を最優先に日本との通商関係を結んでいたことが分かります。


日本が関税自主権を回復するのはそれから50年以上も後の1911年、日露戦争の戦勝国として国際的立場を強めた日本がようやく「日米通商航海条約」を結んでからのことでした。

この大仕事をやってのけたのは当時の外務大臣、小村寿太郎でした。
彼はそれ以前にも日英同盟やポーツマス条約の締結にも関わっており、小柄な体格ながら非常に交渉上手だったといいます。
いま同僚や取引先にこのような人物がいたとすれば、どのような感じなのでしょう。

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このように関税とは国内の経済政策と連携して自国の産業の保護目的に機能することが主な目的ですが、二国間や地域と連携して経済の発展に有効に働く目的も有します。
広くはWTO(世界貿易機関)加盟国に対する協定税率や、EPA,FTAなどの二国間、地域間での経済連携協定に基づいた税率も存在し、二国間や地域経済の活性化に有効にはたらいています。


しかし時に関税は、特定の相手国を攻撃する武器ともなりえます。
いま、中の国とコメの国が貿易戦争を行っていますが、これは実はWTOに認められた権利の行使に基づいています。

貿易相手国からの物品が自国の産業に対し差別的な不利益を与える存在であると判断されたとき、WTOの承認を以て「不当廉売関税」「緊急関税」「相殺関税」「報復関税」を導入し、通常の関税に上乗せすることができます。

貿易相手国にとっては市場を失うことになりますので大きな痛手であることは間違いありませんが、あまり度が過ぎると製造業者や消費者もワリを食ってしまうことになりかねません。


日本は多くの資源を輸入に頼っている国です。
特殊な税制で保護されている産業(農産物や皮革製品など)もありますが、大方の物品の関税はフリーです。

その国の有税品、無税品を見てみると、その国の産業構造が垣間見えるのも関税制度の面白いところです。