日本の国際物流の主流をなす海上コンテナ。
コンテナの発明とともに、国際輸送のスピードと効率性は飛躍的に向上しました。

人類史において海上輸送の歴史は紀元前までさかのぼりますが、初めて世界標準規格としてのコンテナが世の中に誕生して、まだ50年あまりしかたっていないのです。

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19世紀の初頭から、欧米の鉄道会社はちいさな木の箱を使い、船や鉄道、荷車などに積み替えるため独自のコンテナを運用していました。
20世紀に入ったころには鉄製で丈夫なコンテナも誕生し、国ごとや鉄道会社ごとなど、独自の規格で運用が始まりつつあり、現在のインターモーダル輸送ともいえるコンテナによる戸口から戸口への一貫輸送の試みがなされていましたが、どれも世界標準にはなりえず、限定的な運用にとどまっていたのです。


現代につながるコンテナの世界標準化に大きく貢献したのは、1950年代のアメリカで陸運業に大きな成功を収めたマルコム・マクリーンという人物でした。
彼は、自分のトラックの荷物が倉庫に手作業で降ろされたり、また船に積み込まれたりしているのを見ているうちに、トラックの荷台だけを船に積むことで荷役を効率化し、荷物の安全を図ることを思いついたと言われています。


彼は1956年、アメリカで最初となるコンテナ専用船「Ideal-X」を建造し、ニュージャージー州ニューアークからテキサス州ヒューストンまで、58個の金属製コンテナを輸送しました。
そして、ヒューストンの港で陸揚げされたコンテナは、そのコンテナを輸送するために待ち構えた別の車両に積み込まれ、コンテナの扉を一度も開くことなく戸口までの一貫輸送を実現したのです。


その後、海陸一貫輸送の世界展開を夢見て「シーランド」と名付けられたマクリーンの会社は世界展開に乗り出し、海上コンテナ輸送の世界標準化に大きく貢献しました。

当初は船に取り付けられたデリッククレーンで積み降ろしされたコンテナでしたが、岸の岸壁に据え付けられ、コンテナの荷役を専ら行うガントリークレーンを世界に広めたのもマクリーンと言われています。


1960年代に入ると、徐々にコンテナ船による海外定期航路が広がり始め、ベトナム戦争の軍事物資輸送の需要にも後押しされ、次第にコンテナとトレーラー、クレーンが標準化され、現在にいたります。


現在では規格化されたなかでの多種多様なコンテナが色々な貨物の形態に応じて使用され、世界中の海上貨物輸送の90%以上がコンテナのよるものと言われています。

コンテナ船社も再編を繰り返し、とうとう昨年には日本の主要3コンテナ船社が統合され、「ONE」として生まれ変わりました。

マクリーンの夢が詰まった「シーランド」は、現在世界最大のコンテナ船社「APM Maersk」に統合され、いまでもその一部のコンテナに名前を残したまま世界中の海を航海し続けています。