いまから49年前、1970年11月25日。


作家の三島由紀夫が自身の率いる「楯の会」メンバー4人とともに自衛隊市ヶ谷駐屯地に押し入り、東部方面総監を監禁しバルコニーからクーデターを叫んだ末、割腹自殺して果てました。

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国家の体制が大きく変わろうとする時代、60年安保、70年安保闘争といった民衆による国家権力に対する闘争が激化するころに、将来の国家を憂い、古来からの日本を失う危機感に突き動かされ、軍事クーデターによって国家権力を支配下に置き憲法を改正しようとした人が、たった49年まえにいたのです。


このころ、日本の将来の方向性に影響力を持っていたのはほかでもないアメリカでした。

そのことに危機感を持っていた人がたくさんいた時代を我々はすっかり忘れてしまっています。

とおい過去の歴史の出来事のように感じられますが、我々の両親が若かりし頃の、ついこの間の話です。



昨日香港で行われた区議会議員選挙では、投票率が過去最高の71.2%に達し、民主派の政党が親中派を抑えて80%もの議席を獲得したそうです。

驚くべき投票率に見えますが、日本でも1969年、第2次佐藤内閣時代での衆議院議員選挙の投票率は68.5%でした。



三島はこの事件を起こす4カ月ほど前、雑誌に寄稿した手記の中で以下のように日本の将来を憂いています。


「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」

いまの日本をもし三島が見たらどのように思ったでしょうか。

まさに予言通り? むしろ、一般大衆においては富裕ともいえない?


日本を憂うというような話をすると右翼化傾向を指摘されがちですが、筆者は特に右翼でも左翼でもありません。

それでも、令和の時代を迎え、天皇陛下を祝福するたくさんの人を見ても特に何の違和感もない人が多いでしょう。


個人の幸せや富の話が前に出てきがちなこの世の中、このような時代があったのを時々は思い出してもいいのではないでしょうか。

気づけば筆者は三島が割腹自殺を遂げたのと同じ年齢でした。

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