このたび新紙幣の1万円札に選ばれた渋沢栄一氏。

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日本の近代化において極めて重要な役割を果たした人物であり、いまなお渋沢氏が礎を築いた事業や組織は脈々と日本の経済界で大切な役割を果たし続けています。

渋沢氏が立ち上げた会社は500以上と言われ、すでにいろいろな陰謀論者が歴史をひも解いて説明していましたので渋沢氏の経歴には深く触れませんが、彼の立ち上げた会社のひとつに東京海上保険会社(現:東京海上日動火災保険株式会社)があります。

明治9年、日本近代史の黎明期に岩崎弥太郎が出資して設立された東京海上保険は、設立当初から日本の海運とともに発展を続け、グローバル展開や日本で初めての自動車保険の導入など、つねに日本の保険業界におけるパイオニアとして成長を続けています。

(1911年に初めて日本で自動車保険を売り出したときに、日本には1000台の車しかなく、保険契約件数は11件だったとか)


以前に共同海損のことにふれましたが、海上輸送と保険には密接な関係があります。


保険の成り立ちには諸説ありますが、紀元前2250年ごろ、「目には目を、歯には歯を」で有名なハンムラビ王の時代に、資金を借りて交易に出かけた隊商が万が一事故や盗賊の被害などによって積み荷を失った場合には資金を貸したものがその損害を負う、という記録があり、これが人類史におけるもっとも古い保険の概念であると考えられています。


このような概念は、交易という経済活動を活発にさせるうえで隊商のリスク負担を軽減させ、交易による利益獲得を活発にすることに重要な役割を果たしたと思われますが、それでも、非常に限られた条件の中で行われた行為であり、一般的な組織の経済活動として保険の概念が本格化するのは15世紀ごろ、海上輸送による大航海時代を迎えてからとなります。

とはいえ、未知なる土地から莫大な利益を持ち帰る冒険者と、その費用を負担してその利益を徴収する王室や豪商などのスポンサーの関係は紀元前のバビロンの時代と根本的に違いはなく、そもそも人間が社会組織における経済活動で利益を得ようとする動物であるとすれば、保険はその本能的行動に合致した概念と言えそうです。


その後、16世紀にロンドンのとあるコーヒーハウスで始まった海運に関する情報交換が保険を近代ビジネスに様変わりさせ、現代の海上保険のスタンダードを作り上げていきます。

この実在する保険組織「LLOYD'S」は、かつてあの「沈黙の艦隊」にも「ライズ」として登場し、国家としての独立を宣言し、海からの核抑止力としてどの国からも束縛されない純粋な軍事力としての活動を継続しようとした原子力潜水艦「やまと」に対して、成立可能な保険契約だとして保険料率30%をはじき出しています。






地政学的リスクに対して利益を確保し、安全を担保しようとする人間の経済活動は本能的と言ってよいほど自然な行動といえます。


いま、世界のあらゆる場所でイデオロギー間の対立が起こっており、自国の財産を守るため保護主義に向かう傾向もありますが、古来から人間は海の向こうとの交易なしには生活が成り立たないようになっており、特に日本は海洋国家として世界でも有数な経済力を持っています。


ホルムズ海峡やアデン湾のような紛争危険地域では、お互いの国同士のメンツで損害を与え合うよりは、お互いの利益を確保しあうという意味においてお金での解決が可能な場面もたくさんあります。


保険とは、利益の確保とリスクの軽減という機能によって、紛争解決の手段としても働くことができる、人類史の素晴らしい発明なのです。