パナマックスという言葉があります。

これはパナマ運河を航行できる最大船型という意味で、長さ900フィート以内、幅106フィート以内の船を指します。

canalzone01


ヨーロッパを中心に航海術が発達しつつあった1513年、黄金の国を夢見て大西洋を横断したバルボアというスペイン人が、幅64㎞のパナマ地峡を横断しました。
彼は黄金の国は発見できませんでしたが、代わりに太平洋という新たなフロンティアを発見しました。

また、1520年に、そのはるか南、南米大陸の最南端に到達したマゼランは、新大陸を突き抜けた水路を発見し、太平洋に船で到達することができました。

しかし、ヨーロッパを出発した探検家たちにとって、太平洋を探索するためにマゼラン海峡を経由することは、その先の航海に至るまでに費やす物資や労力があまりにも大きすぎることを意味しました。


それから長い間、多くの人々がパナマ地峡に運河を造る夢を抱きました。


そして、様々な紆余曲折を経て、とうとう運河が完成したのは1914年、バルボアが初めて太平洋を発見してから実に400年後のことでした。


最大標高差26メートルを乗り越えるための閘門を3か所有した全長約80㎞のこの運河は、約10年の歳月をかけて建造され、建造当初から1999年12月31日まではアメリカの管理下にありました。

また、1903年から技師として活躍した青山 士(あおやま あきら)氏は、パナマ運河建設における最重要人物の一人と言われています。

彼が建設に従事した1903年、彼はまだ26歳。
日米関係の悪化のため1911年に運河の完成を見ることなく帰国を余儀なくされましたが、二次大戦中にパナマ運河を戦略攻撃目標に掲げた日本軍が彼に破壊方法を尋ねた時、「私は運河の造り方は知っていても、壊し方は知らない」と言ったそうです。


太平洋と大西洋の二つの大洋に挟まれたアメリカは海軍力を分断する必要があり、また太平洋と大西洋の行き来のためにはパナマックスサイズを限度とした戦艦しか建造できないとされていました。

戦艦の幅は搭載できる主砲の口径、そして射程距離を決定することになります。
当時のアメリカ海軍でパナマ運河を通過できた最大の戦艦はアイオワ級でした。

戦艦大和は全幅38.9メートル、主砲口径46㎝(18インチクラス)。
アイオワは全幅32.97㎝、主砲口径16インチ。

しかし、最終的に太平洋を制したのは主砲口径よりも航空戦力の運用に特化した機動部隊を有したアメリカです。


と、まあずいぶん物流から離れて横道にそれてしまいましたが、パナマ運河は現在でも国際物流、そして軍事上の重要拠点として位置づけられています。

そして2016年には旧パナマ運河に並行して建造された新パナマ運河が開通し、航行できる船舶の最大幅も49mにまで拡大されました。

これにより、従来5000TEU程度のコンテナ船しか通過できなかったこの運河も、13000TEUもの大型コンテナ船が航行可能になったのです。